そこにはなにもないかもしれない
万理の事柄には形はあれど、普遍ではない。
ナーガールージュが説いた『般若心神経』の『色即是空』を解したものである。
今現代に連綿と受け継がれるこの教えは、我々の精神や生活に強く根付いている。
大阪十三。夜も眠らぬ喧騒の街。色とりどりのネオンが輝く楽欲の街。
この艶めいた街に、その理を冠した社(物件)が十三の商店街の中にあったとは誰が知っていただろうか。
商店街の路地裏に入り、ふと空を見上げてみる。
そこには天高くそびえ立つ、コンクリートで拵えられた、神の社が威風堂々と立っている。
まさに神域。神聖と云ったところか。
しかし、ここは現代の大阪。神がおわす様な名称ではあるが、入り口は現代に倣ってオートロック。和洋問わない中庸な造りである。
涼やかな通りを歩くと部屋まで楽々のエレベーターが顔を出す。
いつの世も人は得てして楽を求める生き物。
それは住居において顕著ではなかろうか。竪穴式から高床式へ。
木造建築から耐震建築へ。
それだけに留まらず、光や水の扱いは近年凄まじいスピードで成長した。
それはまさに『神掛かり』的な速さで。
などと考えている内に、2階に到着。
物静かな廊下を歩いてドアの前へ。
どの様な部屋なのか?内装は?設備は?
湧き上がる期待や欲望を抱えたまま、そっとドアノブに手をかける。それは一本の蜘蛛の糸に縋る亡者の姿に似ていた。
開いたその空間は虚無であった。
いや、ただの虚無ではない。清廉で潔白の、白いキャンパス。
いわば、生まれたての赤ん坊の様である。無限の可能性を秘めた理の間(フロンティア)。
親雪に足を踏み入れるようにゆっくり進み中を見渡す。その部屋の透明さに息を呑む。進むたびに心の汚れが落ちていく。
部屋の中心まで来ると、目の前の透明作りの風呂場に感嘆してしまう。
『綺麗。』そんな端的な言葉しか出てこないほどの美しさ。ここで体と心の汚れを落とせると思うと、天にも昇る気持ちになる。
空間を埋める白色と透明のガラス。レールライトから降り注ぐ柔らかく温かな光。
部屋の広さも申し分なく、レイアウト次第で変幻自在の空間となる。
まさに『是空』。神の社をどう表現し暮らしていくかは亡者の心意気に委ねられている。
そして、ハイレベルな室内機能の数々。世俗から離れたクリアな場所。これだけでも満足できるのだが、風呂場からさらに奥に進むと、そこにはまた違った世界が広がっていた。
子供たちのはしゃぐ声、人が歩く音、遠くから感じ取れる電車の振動。
少し古い、色あせた家々が並ぶ柔和な景色。それは人々の、世俗の平穏。
隔離された理の空間から見渡す外の世界は、思った以上に悪くない。
『色即是空』
部屋の形に型はあれど、ライフスタイルに普遍はない。